みっちゃん自伝(幼少期)

自分のことを振り返るために、自伝を書いちゃうよ~。

興味がない人は軽くスル~してってください(笑)

この写真、生後2カ月くらいかな?

時代を感じるよね~~~(笑)

42年前の私と母だよ。

さいきみちこ、通称みっちゃんは、福岡生まれ。

母は対馬の人。

父は多分、大阪の人で板前さん。

小さい頃からみっちゃんと呼ばれてたんで、今もみっちゃん♪

板前の父と母は離婚して、3、4歳頃までしか一緒にいなかったから父に関してはあまり記憶がない。

というか、全く覚えていない。

母から父の話を聞くこともなかったので、あえて自分から聞きもせず、2番目の父親を本当の父親だと思うように仕向けられてた。

(血は繋がってないのに、なぜか「お父さんとそっくりよね~」とかよく言われてた)

まぁでも、実父に関しては「知らないふり」をしてたんだよね~。

今思うと、けな気というか、子供らしくないというか、母親が自分から実父の話をするまで自分から実父のことは口にはしなかった。

全く覚えてなくても、父が存在してたってことだけは記憶にあって、「あきなが」って苗字とかは覚えてたんだけどね。

何となく、夢なのかな?って感じもあったけど、とにかく、知らないふりをしてた。

その方が、みんなうまくいくって、子供ながらに思ってたんだと思う。

でも、高校入試のときに戸籍が必要で、それを見た母が自分から話してきた。

『あんたは、弟と父親が違うんだよ』

そう言われた。

私は『知ってたよ』って、そう一言答えた。

あの時、母はどう思ったんだろうなぁ・・・。

私は「やっぱりね~」って、私の記憶は間違ってなかったって、はっきりしてすっきりしたって感じだったけど。

実父とは母が離婚した後、一度も会ったことがない。

死ぬまでには一度くらい会ってみたいとは思ってるので、知ってる人がいたら、教えてください。(これで見つかったら、SNS超すげぇ~~!!ってなるね(笑))

あ、まだ、話は続くよ(笑)

実父母は、私が幼少のころ、夜の仕事をしていた。

稼ぎが少ない父の代わりに、母が水商売してて、私は夜、託児所に預けられてた。

その時の化粧と、毛皮のコートのにおいが嫌で嫌でね。

あのにおいと、雰囲気だけは記憶の片隅に今でも残ってる。

昔の古臭い化粧品のにおいは、トラウマだな。

毛皮のコートを着た母に手を引かれてね、、横断歩道の前で信号が変わるのを待ってるんだよね。

その光景だけが、目に焼き付いて今でも思い出せる。

3歳の私は、わがままも言えず、グッと我慢してたんだと思う。

3歳の私、今、ギューって抱きしめてあげたい(T_T)

私の幼少期はこんなだった。

暗くなる話にはしたくなかったけど、あまり、いい思い出じゃないね(笑)

でも、こんな時代を過ごしてきたからこそ、今の私がいるわけで。

母が苦労してきた姿もしっかり見てるから、母のことは人として、とても尊敬してる。

まぁ、母親としてどうかと聞かれると、一般的な母親らしくはないけどね(笑)

今でも「孫の面倒は見ないよ!私は私のことでいっぱいだから」って宣言されてるし(笑)

どちらかというと、母娘というよりは、友達かな~。

でも、うちはそれでいい。

そのスタイルで、不満もないし、むしろ自由にさせてもらってよかったって思う。

こんな母じゃなかったら『ニュージーランド?オーストラリア?いってらっしゃ~い♪』とかあっさり送り出してくれなかっただろうし(笑)

でも、母になって思う。

我が子が小さい時は、一緒にいないと損。

もったいない。

こんなに楽しくて幸せな時間を過ごせるんだもん。

母も、きっと、それだけは「失敗した!」って後悔してるはず。

いつか聞いてみたいと思うよw

こんな感じの幼少期。

実父との記憶もなく、母は夜家にいない人で、2番目の父は、とんでもない人だったけど、もうこの世にいないので2番目の父の話はやめとこう。

次は学童期に続くよ~(いつ書くかは未定w)

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