いのちの大切さをつたえるのはいいことなのか、そうでないのか

やっほー!

朝からいろいろ考えちゃって、まとまりがつかない、高齢者施設むく代表、唐津のみっちゃんです。

何を考えてるかって、いのちの大切さを伝えることはいいことなのか、そうでないのかってこと。

赤ちゃん先生プロジェクトでは、生まれてきたときの話とか、妊娠中のこと等をママ講師が子ども達に話すことがあります。

誕生学協会ってところでも「生まれてきたことが嬉しくなると未来が楽しくなる」をキャッチフレーズに赤ちゃん先生と少し似ている活動をされています。

それでね、もちろんそこには賛否両論あるわけで。

マイナスな結果になるんじゃないかって意見もあったり→「誕生学」に疑問 生きづらさを抱える子を追い詰めるのはやめて!

赤ちゃん先生の話ではないにしても、似てるところもあるから、このブログの話もわかるなぁと思うんです。

死にたいと思っている子に「死んではだめよ」なんて、見ず知らずの大人が言ったって心に響くわけがない。

「ほら、あなたもこんなに小さくて愛されていたときがあったのよ」なんて言われたって実感がわくわけがない。

わかるんです。

障害を持ったばかりの人に「大丈夫よ!あなたはあなたなんだから!」なんて言っても、「ふざけんな!」って、嘘っぽくしか聞こえないのと同じ。

私も子どもの頃、大人の話なんて全然聞こうとしなかった。

大人に自分のことなんてわかりっこないと思ってた。

私も少なからずやんちゃしてたから、そんな子どもたちの気持ちも、少しはわかるつもり。

でもね、赤ちゃん先生って、母親の話だけから学ぶんじゃない。

子どもたちの感じる力を育てたいんです。

赤ちゃんの持ってる共感力。その力を感じてほしい。

自傷行為のある子や自殺を考えるまでに追い込まれている子(がいたとして)に「自分の命を粗末にしてはだめ」なんてことは言いません。

強引に赤ちゃんを連れてきて「抱っこ」を強要したりしません。

遠く離れて見てるなら、それはそれで良いんです。

その場を逃げ出したくなるなら、それも良いんです。

でも、何かのきっかけやチャンスになるかもしれない。

赤ちゃんに接することで、もしかしたらちょっとでも「かわいい」って思うことで、その子の中にある何かが和らぐかもしれない。

そんなに簡単ではないことだってわかってる。

でも、学校は国語、算数、理科、社会ってカリキュラムだけすれば良いのかというと、そうではないと思うのです。

教育の中に「感じて学ぶ」もあって良いのではないでしょうか。

いじめや自殺にいたる前の段階の、ひとつのチャンスとして赤ちゃん先生は力を発揮してくれると思います。
もし、すでにいじめや自殺、虐待に逢っている子どもがいるとしたら、そこには心友になれる大人が必要。

一緒に泣いたり、笑ったり、共感してくれて、心の支えになってくれる人が必要です。

ママハタのビジョンは「日本の無縁社会を解消する」です。

赤ちゃんが、人と人との縁を繋いでくれます。

私も、たくさんの縁を繋いでもらいました。

そして、母親が自分らしさを失わず、孤独にならないように。

子どもたちの自己肯定感を高めるためには、まずは母親が生き生きして、自己肯定感を高めることをしてほしい。

子どものためにと、自己犠牲を払うのではなく、子どものために笑顔でいられるように社会に出てほしい。

子育てがしやすい国になると、社会はもっとよくなる。

私は(きっとみんなも)そう信じて活動しています。

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