私は、日常のこんな風景が好きだ。
普段、介護される人が、普通にお皿を洗ってくれている。
お皿を洗ってくれる人たちは、今日が何月何日だとかは知らなくて、今なぜここにいるのかとか、時には自分が誰なのかとかがわからなくても、お皿を洗ってくれる。
きっと、お皿を洗っている時間は、ただ「お皿を洗う人」であり、自分が誰で、今日がいつだとかは関係ない。
本人も、周りにいる人も、そんなことはどうでもいいと思っている。
どうでもいいことが、本当にどうでもよくなる時間、そんな時間が続く介護現場がいいなぁと思う。
この風景もいい。
これは、中学生スタッフに「ばあちゃんがキャベツの千切りするから、そばにおってね」とお願いしてた時。
「傍についている=見守り」という役割だったはずの中学生は、いつの間にか、千切りを教えてもらう立場になっていた。
「傍についている=見守り=生徒」という役割にグレードアップしてくれた。
包丁を握っていない婆ちゃんは、机の模様を気にしているのか、ふたりの行方を見守っているのか、「それちょっとでかいんじゃないの?」と口を出そうかどうしようかとなんとなく眺めている(と推測)
これでいい。
これがいい。
よくよく考えると、過去に働いていたところでは、見ることができなかった風景。
今では私にとっては日常になってるけれど、昔はそうじゃなかった。
大規模施設や病院では、お年寄りは、何もしないで座っている人たちで、常に受け身だった。
受け身にさせていたのは、その環境であり、周りの人。
「お皿、洗おうかね」なんて言いながら、エプロンをかける人はいなかったし、そんな環境、空気感はなかった。
できないことを増やしているのは、周りの人。
できる事を消してしまっているのも、私たちかもしれない。
ということは。
「よし、私がやるわよ!」と言わせる人になればいいってこと。
演技力もいるかもなぁ~。
環境づくりもいるかもなぁ~。
いろんな仕掛けもwww
でも、やっぱそれが面白い。
コメントを残す