バックパッカーOTさいきみちこです。
人生は旅。
人との出逢いを大切に、心の旅を続けてます(^_^)
なぜ毎月決まったお給料がもらえる安定生活を捨てて、作業療法士(OT)としての仕事も捨てて、起業して施設を立てることになったのかを振り返ってみようと思います。
思い起こせば、20年前。
作業療法士になりたての、ペーペーで病院で働いていたころ。
スタッフルームの片づけをしていたんだけど、書棚からちょっとくたびれた赤い冊子が出てきたんだよね。
手書きの絵が表紙の、白黒ブリコラージュ。
今では、こんなにカラフルで立派な冊子になってるけど、当時はもっと安っぽくて味がある冊子だった(笑)
http://www.fujisan.co.jp/product/1281691533/
そこに書かれてたのは、まさに生活の場でのケア&リハビリ。
病院で働きながら、短い訓練時間で何ができるのかと疑問を感じてたし、何とか法とか、手技が流行ってた時代に、衝撃的な冊子だった。
昔から、思い立ったら即行動しなきゃ落ち着かない人間だったので、その日の内にブリコラージュを作ってた生活リハ研に電話して『最新号、送ってください!』と言ったっけ。
その日から、私の作業療法士としての視点が変わっていったんだな~。
三好さんの本は全部読破し、セミナーにも何度も足を運んだ。
「病院で開いた生活リハ」の高口光子氏とか「生きがい宅配人安永道生です。」の安永さんとか、富山型デイの阪井由香子さん、日本初の宅老所、よりあいの下村さんの考え方にも深く共感して、いつしか自分のやりたいケア、リハ、生活が作れる施設を作りたいと思うようになっていった。
生活って、もっと自由でいい。
生活の場での、生活を支えるケア=リハビリがしたい。
人って、高齢者だけ、子供だけって垣根を作る必要ないんじゃない?
もっと、人間らしく暮らせる場所を作りたい。
いろいろな想いが体の中から湧き出てた。
でも、そう簡単に形にできるもんじゃない。
とりあえずは、目の前にいる人たちに元気になってもらわなきゃ、毎日が学びだと、できる限りのことをしようと心に決めた。
病院に足りないものは何か。
特に当時はまだまだ、患者さんの立場が非常に弱い時代だった。
オムツ外しなんて無理、無理。
オムツ外しちゃうなら、鍵かけなきゃ!とつなぎの服。
ベッドも高くて、介護する人のためのセッティング。
抑制されて、縛り付けられてる姿も当たりまえ。
入院してるんだから、外にいくなんてとんでもない。
そして、高齢者が入院したら最後、家に帰るのはいつになるやら・・・。
老人病院=姨捨山と呼ばれていた。
そんな時代。
だから、まずは外に出よう!とか家に帰ろう!ということから取り掛かったっけ。
病院だけど、お花見会を企画したり、夏祭りや秋祭り、リハビリクリスマス会なんてのもやった。
『一日一笑』を心掛け、一緒に働いてた先輩と、患者さんを笑わせることに命かけてた(笑)
ハゲ面かぶったり、猿の着ぐるみ着たり、変顔研究したり、夜中まで仲間と出し物(歌やら踊りやら)の練習したり、イベントでは何でもやったなぁ~(笑)
そしてある日、その病院系列で老人保健施設ができた。
「行きたい人?」で迷わず手を上げた。
病院より、少し生活の場に近いって思ったからね。
老健では、当時現場になかった介助バーを手作りしたり、ポータブルトイレのフレームを設計からやってイレクターで作ったりした。
その時のバイブルが、PT大渕さんの「老人介護についての個人的HP」http://homepage3.nifty.com/MYKAIGO/
このブログには、20年近く前から本当にお世話になってる。
今でこそ、SNSとかあるからいいけど、当時は掲示板使ったり、メールしたりで、ご相談に乗ってもらってた。
三好さんも、大渕さんも、気さくな方たちなので、今では普通にリアルに会えるけど。
そういえば、三好さんの生活リハ研に『リクルートに来ました』って、講師しないかい?とスカウトしてもらったことがある。
働く場所も、ポジションも決めてくれてて、かなり気持ちは傾いたんだけど・・・。
当時はニュージーランドに行くことを決めたばかりで『すみません』って断っちゃったんだ。
もし、あの時OKしてたら、全く違う人生を歩んでたかもしれないなぁ~。
そして、高齢者と子供の複合施設を作りたい、普通の暮らしを支えたい、という想いを胸に、テクニックや技術を適度に学びつつ、福祉用具や機器、住宅改修、ポジショニング、シーティング好きなバックパッカーOTさいきみちこは育っていった。
いや、まだまだ進化中だけど(笑)
堅苦しい学会発表とかには、全く興味が持てなかったけど(聞くのは好き)、もの作りは好きで、対象者の方の生活が良くなるために必要そうなものは、何でも作ってきたよ(この話はまた今度♪)
こうして文章にしてみると、ちょっとだけ自分を振り返ることができる。
そっか。
きっかけは三好春樹さんなんだね。
そして、富山型、宅老所。
ずっと、踏ん切りがつかず、悩んでたのは定住する自信がなかったのと、経済的な問題。
だって、普通に作業療法士として病院で働いていた方が、お給料は絶対にいいに決まってる。
独り身の時は、故郷もなかったし、根がバックパッカーだからどこかに施設を構えたら動けなくなるのが怖かった。
そして子供抱えてからは、経済的な不安。
食べさせていけるのか?
旦那、18歳も上で、当てにならなくなるのはすぐよ。
でも、やっぱりやりたいことをしないで歳をとってしまったら、間違いなく後悔するもんね。
後悔する人生なんてつまらない。
自分に嘘をついてごまかしてる人生より、自分に正直に失敗するかもしれないけど、やりたいことに挑戦している人生の方がいい。
もう、あとは勢い!!
脱サラ!
子供3人抱えて起業!
42歳、ママハタ唐津校代表!
施設立ち上げ!
旦那還暦!
貯金やばい!!
わーお!!Σ(・ω・ノ)ノ!
こんな私ですが、ついてきてください(笑)
じゃ。
明日も良い風が吹きますように♬
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